Little AngelPretty devil 〜ルイヒル年の差パラレル

  “忘れたくとも思い出せない、
    ジレンマがトラウマになる前に…”
 


           




 静かでシックな店内へは、絶妙な配置になった幾つもの大窓から、直射日光ではなくの柔らかな余光がたくさん取り入れられていて。漆喰壁の褪めた白を引きしめているのは、柱や窓枠や床板のみならず、テーブルやベンチタイプの椅子、カウンターなどなどという調度までをそれで統一した、深みのあるチャコールの濃色。白と焦茶のみという、殺風景なほど他の色彩がない中にあって、窓辺に据えられた鉢植えのベンジャミナの緑が何とも清々しく映えている。モーニングの時間帯からそろそろランチの時間帯へ移行しようかという頃合いだったが、学生層が夏休みに入ったせいなのか客の姿はまばらで。4人掛けだろうボックス席に、ちょこりと小さな子供が一人で座っていても、ギャルソンのお兄さんは何とも言わずにおいててくれている。常からも客にこびるような空気や色合いはない、どんなに閑散としていても逼迫した雰囲気はしない、何とも淡々としたコーヒーショップであり。何でも、定年前に脱サラした壮年の店主が暇つぶしにコーヒーを淹れたいがため、開いているような店だからとは、いつだったか たった一人の従業員であるギャルソンのお兄さんから聞いた話。そんなお店であるがための、いかにも流行らぬ静かさをありがたいと思うような客層しか来ない中、まだ小学生だろう小さな男の子が贔屓にしているというのも、これまたなかなか異色なことだったが、

 “…遅っせぇなあ。”

 何もいきなり飛び込みで入ったのが切っ掛けだという訳ではない。彼を此処へと連れて来た“先達”がいたことから、出入りするようになった店であり。今日はその“先達”さんつながりの誰かさんとの待ち合わせを構えている坊やだってのに、オーダーした冷たい豆乳オーレがグラスの半分になっても、肝心な相手は姿を見せず。自分との待ち合わせに遅れたことが一度もなかった相手なだけに、どうしたんだろかと街路へ向いた窓やドアの方ばかりをしきりと眺めやってた坊やだったのだが、

 「…妖一くん。」

 清潔そうな白いシャツに黒のベストとパンツという“ギャルソン風”ボーイ服を着たその上へ、縦に長くてシンプルな、深緑のエプロンを首からかけたお兄さんが、坊やのいるテーブルの傍らまでやって来て、
「今、阿含から電話があってね。行けなくなったって伝えてくれって。」
「え〜〜〜?」
 何だよそれと、いかにも不満そうなお顔になったのは、此処で逢おうと指定したのが向こうだったから。馴染みとはいえ、このところの日頃の生活圏からは微妙にちょいと方向が逸れる場所だったので、

 “ルイに午前は行けなくなったってわざわざ連絡入れたのに。”

 そりゃさ、メール入れたのはこっちからで、しかもいきなりだったけど。じゃあ此処で待っててって返事を寄越したくせによ〜〜〜、と。口許きりりと引き絞り、一体どうしてくれようかと綺麗な額へ青筋立てかかった坊やだったのだけれども、

 「そいでね? ウチのオムライス、奢るからって。食べてくでしょ?」
 「あ、うんっ! 食べるっ!」

 通っていた大学では学園祭の美青年大会の通年チャンプだったという噂もある、このギャルソンのお兄さんの、それはそれは優しげな笑顔とそれから。メニューには載ってないけれど、マスターが趣味でボチボチとレパートリーを増やしつつある、洋食やグリル料理のあれこれと。それが、この店の常連たちの秘やかなお目当てでもあって。
「マスター、オムライスも作るんだ。」
「うん。先月あたりからやっと、玉子でご飯を巻けるようになってね。」
 拙い成長っぷりをくすすと微笑ったお兄さんへ、こちらもお取っときの笑顔で応酬しての、さっきまでの不機嫌もどこへやら。やったやったとはしゃぐところは、やっぱり子供の無邪気さがちらり。そんな坊やの傍らに居続けのお兄さんだったが、彼らがいた席から望めるお外の通りを、小さめのバスが通ったのを見やると。あれれ、もうそんな時間かと呟いて。中腰になっていた身を起こすと、こちらも小粋な格子戸風ながらも、ガラスの嵌まったドアへと向かう。厨房に通じているカウンターに声を掛け、かららんとドアの上、小さなカウベルがついているのを鳴らして外へ。しばらくすると、その腕へ小さな男の子を抱えて戻って来、
「…っ、ヨーイチ。」
 こっちを目ざとく見つけての、名指しをしてくれた男の子。妖一坊やよりずんと小さい、三つか四つか。黄色い帽子に、半袖のオーバーシャツと半ズボンというカッコなところを見ると、幼稚園だか保育園だかから帰って来たらしかったものの、
「あれ? まだ夏休みじゃないの?」
 坊やを抱えたまま当然のようにこちらへと戻って来たお兄さんへ訊けば、
「うん。何か、先生方の研究ってのかな。幼児の団体行動における何とかかんとかってののデータを取りたいって、付属の大学の先生から依頼があったらしくって。」
 そいで今日まで、通園させられてたんだよねぇと。抱えて来た男の子へ話しかけ、足元へと降ろしてやれば。そのままトコトコ歩んだ坊やは、少し大きいお兄ちゃんになる妖一くんのお隣りへ、よいちょとよじ登るようにして腰掛けてしまい、
「お。自分で登れるか。」
 こないだまでは出来なかったのにと笑ったお兄さんへ、うんと頷いて見せる可愛らしい男の子。そんな三人が固まっている場へと、
「待たせたの。」
 深みのあるお声と共に、焼いた玉子の甘くて香ばしい匂いとケチャップの匂いがやって来た。唯一のギャルソンさんが此処にいた以上、勝手にトレイが飛んで来るはずもなく、
「あ、すみません。油売ってしまってて。」
「いいさ。他に客人がおるでなし。」
 どこぞの学者さんでもあったのだろかと思わせる、泰然とした落ち着きっぷりが渋いとばかり、女子高生から秘かに人気の、オーナーシェフことマスターが直々、出来立てのオムライスを二人分、運んで来て下さって。ミネラルウォーターの入ったバカラとグラス、スプーンにサラダ用のフォークをそれぞれの前へと並べて下さる。ごゆっくりと言い残して去ったマスターの、後ろへ束ねた髪を垂らした広い背中を見送って…さて。
「今更訊くのも何だけど。ウチの子も此処で食べさせていいかな?」
「いいよvv」
 この尖んがり坊やがここまで機嫌がいいなんて滅多にあるこっちゃないぞと、彼を知る方々が唖然としちゃうんじゃないかというほどの上機嫌。何たってこちら様の小さな坊やは、染めてもないのに金の髪した色白の男の子で、妖一坊やとどこか似ており。それもそのはず、
「そうそう。ヨウコちゃんがこっちに出て来てたよ?」
「おや。そんな話、届いてないけれどもね。」
 小さな坊やのお口へと、ふわとろの玉子とケチャップライスとをスプーンに乗っけては運び、手際よく食べさせてやっているお兄さんが、妖一くんからのお話へかっくりこと小首を傾げて見せる。
「そっか。シチ兄にも話してないのか。」
 何でそんな水臭いことしてるのかなあと、怪訝そうな声を出しつつも、今はいっかと美味しいオムライスの攻略に集中することにした妖一坊や。ヨウコという名前だけで話が通じている、こちらのギャルソンのお兄さんもまた、金髪に玻璃玉のような瞳というところが妖一坊やとそりゃあよく似ており。それもその筈、実は血縁同士であるらしく。
「何だったらヨウコちゃんも連れておいでよ。」
「うん。いつかね。」
 まぐまぐとオムライスを幸せそうに頬張るお顔が、何とも言えず可愛らしくて。

  “ヨウイチロウも、とっとと帰ってくりゃいいのにねぇ。”

 我が子の一番可愛い盛りを見守らなくてどうするかと、失踪してもう随分になる誰かさんのこと、ついつい切ない気分で思い起こしてしまっていたりする、茶房“もののふ”の七郎お兄さんだったりするのである。






            ◇



 書類の上では高校の新一年生となったが、まだ入学式前だったため、微妙な立場にあった3年前の春休み。都議である父親の知名度や、実力でブイブイ言わせていたOBの兄の名を出せば通ったろう“七光”を嫌ってのこと。素性は伏せたままにしての拳ひとつで、あの、所轄の警察署でさえ一目置いて警戒していたほどに気の荒い不良たちの巣窟・賊徒学園の全学年を熨
してしまった“史上最強の下克上”はもはや伝説と化している。決してお世辞にも“イケメン”とまでは言えないが、がんと逞しい芯が通っている野太い気性と、その精悍で肝の座った不貞々々しい佇まいには、それなりの男らが惚れるだろう、一端の重厚さが満ちていて。瞳孔が小さめなせいでの三白眼が、最も迫力を帯びる凄みの出し方睨み方、さすがは心得ている鋭角的な面差しに。冴えた印象を尚も引き立たせている、ぴしっと整えられた漆黒の髪。今は大学生になってしまって、もはや目にすることは適わなくなったけれど、日頃のトレードマークだったあの白い長ランに、鎧われず着られずの余裕の着こなしも決まっていたし。人より微妙に長い腕脚も、相手への脅威になるその他に。行儀の良い所作へも案外と、切れの良い身ごなしがよくよく躾けられているせいで、見栄えのする優美さを醸し出すのだそうで。

  「おーっし。今日はここまで、整理運動してあがれっ!」
  「押忍っ!」

 そんな彼を慕っての忠節を誓ってた仲間たちもまた、同じ高校に進学し、そのままアメフト部に名を連ねての3年間を共に過ごしたのだけれど。彼らは何も、自分たちの総長の凄まじい腕っ節にのみ おもねった訳ではなく。きっちりと鍛えたその上で、無駄なく絞り上げられた体躯と四肢との、この上もない頑丈さと頼もしさに加えて、実は実は。頑迷なくらい律義で不器用なほどに正直者で、どんな小さな約束でも守るし、嘘が嫌いな義理堅い男であることも重々知っていたから。そういう可愛らしいところが災いしての、困った立場へ追い込まれぬよう、これでも“自分たちこそが気を回してやらにゃあ”と思ってはいたらしく。彼の立場にだけ魅力を感じて近づく、薄っぺらな輩たちや蓮っ葉な女どもやらを除外することへは、何とか目も手も配れていた面々ではあったものの、

  ――― 頑迷なくらい律義で不器用なほどに正直者で、
       どんな小さな約束でも守るし、嘘が嫌いな義理堅い男であること

 仲間内でもないのにあっと言う間に見抜いてしまった存在が、例の下克上からさして間を置かない頃合いに現れたものだから。その存在こと、小さな坊やの可憐で愛らしい姿を始終まとわりつけていることでこそ、周囲へは印象深くしていたようなものだったりもする。

 「あ、いっけね。ルイ、帰りにコンビニ寄ってってくれ。」
 「コンビニ?」
 「おお。母ちゃんから帰りでいいから牛乳買って来てって言われてた。」

 そのおチビさんにのみ。どういう相性なんだろか、手玉に取られ続けて はや足掛け4年目。始まりはそれこそ、突き放すなんて大人げなくってなんてところだったのだろうけど。今や…傍らにいて当たり前、揚げ足取って取られてて当たり前。体力がない分だけ、ハンデキャップ的に小狡い真似をすることはあっても(ex,近所の署の交通課勤務の婦警さんたちを籠絡して、ミニパトをタクシー代わりにしているとか)、基本的には決して“虎の威を借る”ようなところはない坊やだったから。総長さんが相手でさえ、怖いもの知らずにも口喧嘩を吹っかけたり、迎えに来いの、どっか連れてけだのと引っ張り回したりもしていた我儘ぶりへ。出来る範囲でと制限かけつつ、でもでも結局きっちり応じてやってる総長さんだったのへ。当初は眸が点になってた周囲だったが…慣れというのは恐ろしい。気がつけば、自分たちまでもが彼を身内と把握しており、

 「明日っからは、サートレをウォーミングアップにするかんな。」
 「で〜〜〜っ。」
 「それだけは勘弁〜〜っ。」

 我儘で目茶苦茶で。トレーニングメニューなんぞに、時々無謀な達成数値を書いてて下さるところをもってして、ああこいつってばまだ小学生だったっけと、計算間違えか書き間違いだろと勝手に解釈しようものなら。せめてやってみようって気構えくらいは見せないかと、ロケット花火を連射して下さる恐ろしさだったりするのだが。(真似をしてはいけません。)それが不思議と…日頃の何やかやには、あんまり桁外れな我儘は繰り出さない。どっかへ出掛けたいと急に言い出すにしたって、時間帯だとか後のスケジュールだとか、きっちり把握した上でという気配りは大人並みだったりし。先にも述べたがあんまり虎の威は借りない子で、無茶を言う分、自分も頑張る。炎天下のランニングやトレーニングなんて、観てるだけでも体力消耗するだろに、自分から日向へ飛び出して来てはお兄さんたちを追い回す剛の者。付き合う義理なんてないのにね。打ち上げだの合宿だの、美味しいトコだけ混ざっていればいいのに。自分も汗かいて駆け回ってる坊やなもんだから。だからこそ、年のずんと離れた身でありながら、こっちもぐうの音が出なくて従わざるを得なかったりするのだろう。そんな想いの同じな部員たちが、小さな鬼コーチさんへ、じゃあな明日またと手を振っての帰ってくのを見送ってから、部室に錠前下ろしての…さて。

 「牛乳って、どこのでもいいのか?」

 何だったらスーパーまで回ってもいいがと気を利かせると、小さな鬼コーチはかぶりを振って見せ、
「コンビニでいい。」
 そこでも売ってるメーカーのだし、スーパーはこの時間だとレジが込んでて鬱陶しいと、妙なところに通じていること、ちらりと洩らす。来られないと言っておきながら、昼からの途中参加になった練習の間中、どこか上の空だった坊やだが、今はもう、いつもの彼へと戻っており。バイクにまたがり、葉柱の背中にぎゅうとしがみつく、まだまだ少々頼りない力加減にも変わりはないが。

 “な〜んか、隠してないか?”

 さすが、伊達に足掛け4年も付き合ってはいません。背丈が伸びたこと、補助用のシートがどんどん手狭になることで、ああもう片手でひょいは出来ないなという形で、結構細かく気づいたように。ずっと間近にいると近すぎて見えないことも、ひょんな形で拾えていたりするもので。いつもと変わりない偉そうな態度や我儘の陰に、ちょっぴり不安定な何かがちらり。それでなくともややこしい坊やなその上に、そろそろ複雑な心理を抱くよになろう“お年頃”もやって来る頃合い。

 “俺ってのはそんなにも頼りにならんのかねぇ。”

 困ったことがあったら頼るという、そんな間柄じゃあないなというのは、何となく判ってて。むしろ、葉柱を守ろうと構える困った坊やだから始末が悪い。せめて、相談持ちかけてもらえるまでにはなりたいもんだなと、溜息混じりに思う総長さんだけれども。

  ――― 対等でいたいと思うからこそ、
       そうそう頼れないのだということ、
       気がつくまでにはまだちょっと、
       時間がかかりそうな総長さんでございます。







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